tama-02:

wwwwwwwwwwww123:

“看護学生の頃、夏休みの宿題で「オムツに排泄をしてみて感想を書きなさい」という課題が出た。1人1枚ずつオムツを配られた。夜中、尿意を極限まで我慢し、誰もいない部屋でオムツへの排泄を試みた。でも、全く出ない。頑張って出そうとするけど、脳が勝手にストップをかけてくる。とてつもない羞恥心も 感じた。私たち看護師は「トイレに行きたい」と言う患者さんに、「今は立てないから、オムツにしてください」と平気で言ってしまっているけど、これがどれくらい恥ずかしくて自尊心を奪うものなのかを身をもって経験した。今でも「オムツに排泄してください」とは極力言わないようにしている。医師に 安静度を確認して、トイレへの移動許可を得たり、リハビリをしてトイレにお連れしたり。オムツへの排泄は看護師としては処理も楽。だけど、「こんなところにするなんて恥ずかしい」という患者さんの気持ちには寄り添いたい。”

SKY BLUE@ポジティブナースさんはTwitterを使っています

そうそう、脳(動物ではなく人間の部分)が拒否するんですよね。小でもこれだけ恥ずかしいなら大ならなおさらってことですよね。赤ちゃんは人目も羞恥心も「おそらく」感じていないだろうけれど物心つくとそれはもう苦しいくらい恥ずかしいと想像します。私は12歳の時に入院した際にはベッドの上に「おまる」を置いてやってました。6人部屋だったので同部屋の人たちに申し訳なくて、つらくて、とても恥ずかしかったことを覚えています。

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bwlz:

“兵器メーカーが戦争を起こしている理論によるなら我々転勤族が転勤させられるのは引っ越し業者の陰謀な気がする”

ドンガメ六号さんはTwitterを使っています: 「兵器メーカーが戦争を起こしている理論によるなら我々転勤族が転勤させられるのは引っ越し業者の陰謀な気がする」 / Twitter (via shitakeo33)

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tatsuzr:

“アヤコ @ayako666 ツイッターで見た「カレールウは小さく割らずに大きいまま入れるとすぐに溶ける」っていうのをやってみたら本当だった。凄い!わたしは今まで何をやっていたんだか… 玉川陽平 @qi5yohei @ayako666 小さく割ると表面積が大きくなって表面張力でお湯が浸透しにくくなるのでしょうかね。味噌も溶かさずに大きいまま入れるとすぐにお湯に溶けます。”

Twitterで見た『カレールウは小さく割らずに大きいまま入れるとすぐ溶ける』っていうのをやってみたら本当だった「火を止めるのもポイント」 - Togetter (via petapeta)

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y-kasa:

“クローズアップ現代「私の知らない"私の息子"~急増する闇バイト・"転落”の真相」、ひたすらつらかった。高速道路で軽自動車がトラックに追突され、2人が死亡。父親は大学生の息子が事故で死んだと知らされるのだが、そこから驚くべき事実が明らかに。車には盗んだ金庫が積まれており、乗っていた5人は全員、闇バイトの窃盗犯だった。息子が犯罪を犯していたことに愕然とする父。さらに調べると、大学入学で1人暮らしを始めた息子はユーチューバーデビュー、「とにかく有名になりたい」と語っていた。やがて彼は「会話力を高める」という名目でホストのバイトを始める。そのホストのバイトを辞めたあたりで闇バイトに応募、住所も身分もあっさりと相手に伝えていた。YouTubeで「光の世界で金を稼ぐか、闇の世界で金を稼ぐか」と語った5日後、犯行&事故で死亡。高速道路なのに路肩をこえて停車していて事故に遭うのだが、なぜそうなっていたかというと、ガソリンが尽きてまったく動けなくなったから。なんというか、何もかも、何もかも…という感じだった。父親はショックが強すぎて今でも仏壇に近づけないらしい。ひたすらつらかった。”

MAEDA Takahiro / Twitter

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y-kasa:

“魔王「ぐわー!この我を倒しても第二第三の魔王が!」 勇者「って言ってました」 王「そうか(じゃあ強くなりすぎた勇者を処分するわけにはいかんな…)」 勇者(…ありがとう魔王) 魔王の思念(…ええんやで)”

オヤジ草(異世界パークラ2巻5月31日発売/ぬきたしアンソロ7月21日発売) / Twitter

Reblogged from 朽ち果てるまで

kazzxz:

“輸血の始まり 近代の科学的な輸血法が日本に入ってきたのは、1919年(大正8年)のことでした。そして、1930年(昭和5年)、時の浜口首相が東京駅で凶漢にピストルで撃たれるという事件が起きたのですが、この時、東大の塩田教授らが駆けつけて、駅長室で輸血を行い生命を救いました。この出来事が大きな関心を呼び、輸血が一般的に行われるようになるきっかけとなりました。 輸血は、血液を採取してそのまま輸血することから始まりました。それは、患者さんの寝ているベッドの隣に血液の提供者を寝かせ、提供者から注射器などに採取した血液を直ちに輸血する方法で、いわゆる「まくら元輸血」といわれていました。”

血液事業の歴史|大阪府赤十字血液センター|日本赤十字社 (via petapeta)

Reblogged from xz

kazzxz:

“日本赤十字社は、無償で血液を提供してもらう献血を健康な人に呼び掛けました。 しかし、相前後して生まれた民間の商業血液銀行が、当時の経済的不況の荒波にもまれていた一部の人々から血液を買っていたために、献血者は極端に減ってしまいました。1952年(昭和27年) 949人、翌年1,614人、それが1958年(昭和33年)には254人になってしまったのです。 自分の血液を売る人々の多くは、定職に就けない人たちで、毎日仕事があるわけでもなく、雨の日などはたちまち収入の道を閉ざされてしまいました。そのため、仕事に就けなかった日には生活費を得ようと、血液を売りに行きました。これが習慣となると、今度はつらい仕事よりも、血液を売ってお金をもらったほうが楽になってしまったのです。そうなると、いきおい月1回の売血が週1回になり、さらに頻繁になって、当時の調べによると、なんと1カ月に70回以上も売血した人がいたそうです。 このように、供給源を売血者に頼っていたため、売血者の血液は、赤血球が回復しないうちにまた売血してしまうので、赤血球の少ない黄色い血しょうばかりが目立つものになってしまいました。 健康を害するほど売血を繰り返した人の血液は、輸血しても効果が少ないばかりか、輸血後肝炎などの副作用を招きがちで、これが大きな社会問題となりました。また、自分の生命ともいえる血液を切り売りしたり買い入れたりすること自体、人身の売買につながるとして社会の批判を浴びたのです。 高校生や大学生を中心とした売(買)血追放運動が各地で起こり、ついに国会でも取り上げられました。そこで政府は1964年(昭和39年)8月21日、「献血の推進について」(政府は、血液事業の現状にかんがみ、可及的速やかに保存血液を献血により確保する体制を確立するため、国及び地方公共団体による献血思想の普及と献血の組織化を図るとともに、日本赤十字社または地方公共団体による献血受入れ体制の整備を推進するものとする。)を閣議で決定したのです。こうして、赤十字血液センターが各地に開設されていき、献血の受け入れ体制は急速に充実していきました。 以来、献血は年を追うごとに増えていき、1968年(昭和43年)には、民間血液銀行の買血による保存血液はすっかり影を潜めました。”

血液事業の歴史|大阪府赤十字血液センター|日本赤十字社 (via petapeta)

Reblogged from xz

daibaka:

“当初、アメリカ軍機を使う案を検討したものの、アメリカの規定で、飛行できるのが同盟国、友好国の上空になるなどの制限があり、20時間以上かかることから、ウクライナが難色を示した。 これに対しフランスが、制限が少ない政府専用機により10数時間で移動する案を提示し、来日が実現した”

【独自】来日当初は米軍機を検討 ゼレンスキー大統領 調整ウラ側|FNNプライムオンライン

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taizooo:

“現在の生成AIがやっているのは、基本的に「著作権ロンダリング」である”

Apr. 2023

zero04gravity20:
“ 笑った
”

zero04gravity20:

笑った